不祥事、事件

川崎登戸殺傷事件「犯人岩崎隆一は一人で死ね」→「それは間違い」被害者は… ネット困惑

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令和早々大事件となってしまった川崎市多摩区登戸の公園で発生した無差別殺傷事件の犯人岩崎隆一(男性一人と小学生の女児を殺害した後自殺)について、国民の多くが「一人で勝手に死ねばいいのに」と当たり前の思いを抱いたはずです。中にはSNSなどで口にした方もいるでしょう。しかしそれは間違っているとして、罪を憎んで人を憎まずをベースとした人権派の反論意見が一定の支持を得ているようです。

ちなみに私も20回ほどは一人で勝手に死ねばいいのにと思いました。一体この考えの何が間違っているというのでしょうか。

 

事件概要 小学生を無差別殺傷

死亡者は現在2名。懸命に治療が続いていますが、いまだ予断を許さない児童もいるのでしょう。女児ばかり狙った犯行だったとのことです。唯一犠牲となった成人男性は外務省職員という立派な職業に就いておられました。

児童たちが通っていた私立カリタス小学校は記者会見を開き、今月いっぱいの休校と亡くなった生徒について「毎朝『おはよう』と声をかけると笑顔いっぱいで『おはようございます』と返してくれるお子さんだった。信じられない」と悲痛な思いを口にしていました。

彼一人死ぬだけであれば悲しまなかった大勢の人たちが悲しみ、罪のない犠牲者を出してしまいました。

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一人で死ねは間違い派の意見

一部の意見かと思いきや、それなりに賛同者を生んでいました。

犠牲者や遺族のことを軽んじているわけではないと思いますが、あくまで今後似たような事件を起こさないために、社会全体に目線を置いた意見です。どちらかというと口にするのがまずいといった論調です。

 

一人で死ね派の意見

やはり比率ではこちらのほうが多かったです。

ちなみにグッデイでは、北村弁護士も

「言ってはいけないことかもしれないけど一人で、一人で死にたいなら、一人で死ねよ!って言いたくなりますよね」
「人の痛みが分からないからこそ社会に適合できなかったんじゃないか、言ってもしょうがないけどそう思いますよね」

などと見解を述べていました。

まあそもそも話がかみ合っていないですね。一方は今後の社会のため、もう一方は遺族や被害者目線の意見です。ただ社会のためという話であれば、彼が傷つけた児童や外務省職員は彼よりもはるかに日本の社会にとって重要だったはずなので、やはり「一人で死んでほしかった」は間違ってない気がします。

 

動機がはっきりしてから言ってほしい

犯人の岩崎隆一が社会に強い恨みを持っての犯行であれば、社会の憤りが彼らの喜びになるので人権派の意見は一応理解できないこともないですが、最初の男性の殺害はカモフラージュで本当は女児を殺したくて仕方がなかった単なるロリコン異常性癖者かもしれないので、その場合は社会がどうとかそういう問題ではないですね。(一人で死ねという問題でもなくなってしまいますが)

さらに同級生によると小学校時代から鉛筆で同級生の手を刺したりと凶暴性がすでにあったようなので、やはり社会関係なくそもそも異常な人格をもった、生きていてはいけないイレギュラーな人間だったかもしれません。

あとはまあ死刑反対派にも似たようなことが言えるのですが、身内が犠牲になるとほぼ確実に意見を翻すので、つまるところ他人事の綺麗ごとにしか思えないです。被害者の遺族が言うのであれば耳を傾けますが、そんなこと言う遺族は誰もいません。

そもそも日本の社会をどう改善していくのか現実的な話や、何がどう無差別殺戮に影響しているのか根拠がまるで見えてこないですし、だったら被害者の心情に配慮して「一人で死ねばいい」で問題ないと私は思います。遺族が反対派の発言を目にしたらいい気持ちはしないでしょう。やはり岩崎隆一は一人で死ぬべきだったと思います。














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