不祥事、事件

小島一朗に無期懲役の理由 死刑は無理 新幹線3人殺傷事件 永山基準の是非

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東海道新幹線内で乗客3人を殺傷した小島一朗被告が無期懲役となり、死刑が妥当であると反発の声が多く上がっています。

新幹線の乗客だった男性一人が死亡、女性二人は一命は取りとめていますが、小島一朗には明確な殺意があり刑務所を出たらまた犯行に及ぶと口にしていたようです。(女性の一人は全治1年の重傷)

被害者男性の遺族が浮かばれない判決となってしまいました。判決後には小島一朗被告が「控訴はしません。万歳三唱します」と述べ実際に万歳に及んだようです。

社会生活に限界を感じていたため無期懲役を希望していたこと、そして誰にも相手にされなかった男が初めて人に注目され悦に浸っているのでしょうか。反応したら彼の思うつぼのような気もしますが怒りを抑えられない方は多いでしょう。

佐脇有紀裁判長の発言

「あまりにも人の命を軽視し、動機は極めて自己中心的で身勝手である」

亡くなった梅田耕太郎さんは凶行を止めようとして犠牲になってしまいました。私もこの件は死刑が妥当だと思っていましたが無期懲役で決着となりそうです。

 

死刑ではなく無期懲役となった理由

そもそも検察側が死刑ではなく無期懲役を求刑していたため、最大限重い判決が出ても無期懲役という着地点が最初から見えていました。検察側が無期懲役を求刑しても死刑判決が出た判例は過去にあるようですが、1957年が最後と現実的ではありません。

以下無期懲役求刑から死刑となった判例。

・1946年11月14日 大阪地方裁判所(松本(圭)裁判長) 知人夫婦殺傷事件で男に死刑判決。

・1947年7月8日 秋田地方裁判所(小森裁判長) 強盗殺人事件で20歳の男に死刑判決。1947年12月12日、仙台高等裁判所秋田支部は無期懲役判決。確定

・1949年12月28日(坂本裁判長) 津地方裁判所 伯母・妻子殺傷(3人殺害)の男に死刑判決。1950年6月12日、名古屋高等裁判所は無期懲役判決。確定

・1957年3月20日 仙台地方裁判所(山田裁判長) 米兵に対する3件の連続強盗致死傷(1人死亡)と日本人女性強盗殺人放火事件(1人殺害)で、黒人米兵Bと愛人女性Sに死刑判決。1958年3月12日、仙台高等裁判所(籠倉裁判長)は両名に無期懲役。愛人Sは確定。米兵Bは上告し、1958年10月2日、最高裁判所第一小法廷(齋藤悠輔裁判長)は上告棄却決定。確定

・1957年12月28日 東京地方裁判所八王子支部(滝沢裁判長) 8歳少女への強姦・殺人事件で27歳の男に死刑判決。当初より殺意を否認しており、一旦控訴したが、1958年7月11日、控訴を取り下げ死刑確定。

日本の裁判史で5例のみ、しかも最後が1957年と大昔の上、後述する永山事件以前のため、求刑を飛び越えて死刑というのは可能性は0に近かったです。

 

永山基準

検察側が死刑を求刑しなかったのは、1968年に発生した「永山則夫連続射殺事件」の判決が生み出した『永山基準』による判断ですね。

(ざっくりいうと4人以上の殺害で死刑ほぼ確定、一人の殺害ならば強盗や強姦目的でない限り死刑は回避、という日本における刑事裁判の一つの基準です。)

被害者の人数で量刑が決まることについては批判の声があり、近年は一人の殺害でも死刑となることは増えていましたが、小島一朗被告は両親に捨てられた生い立ちなどを検察が考慮して無期懲役の求刑に至ったのかなと思います。

永山基準についてはかなり批判があります。

永山基準は多くの遺族を苦しめてきました。今回の判決を機に人生に絶望したサイコパスが無期懲役狙いで模倣犯とならないか心配です。

 

ネットの反応まとめ

遺族の控訴は難しい

遺族に控訴して欲しいという意見も少なくなかったです。

同意見ではありますが、検察側の求刑通りの判決のため控訴は現実的に難しいでしょう。遺族というより検察が最初から死刑求刑するべきだった気がします。

小島一朗被告についた弁護士は 「過剰に重い刑を科すべきではない」と主張していたようです。出所したら再犯すると宣言していたのでさすがに弁護士も控訴はしないでしょう。生い立ちには同情しますが似たような境遇から立派に成長した方は多くいますので、結局は小島一朗が欠落した人間だったのでしょう。ないとは思いますが仮出所だけは辞めていただきたいところです。










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