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プロレスラーマサ斉藤の思い出と伝説 75歳で死去した佐々木健介の師匠

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プロレスラーのマサ斉藤さんが75歳で亡くなられました。

元気だったころのマサ斉藤選手。

当時は総合格闘技なんかもなかったので、リアルでの強さに自信がある人間もプロレス業界に来る事が多かったんですけど、その中でもマサ斉藤さんの強さは折り紙付きで、更にやさしさも併せ持った偉大なプロレスラーでした。

ではその半生を振り返ってみます。

 

佐々木健介の良心

マサ斉藤さんを語る上で、佐々木健介は避けて通れないですね。

師匠として佐々木健介を鍛え上げたのもそうですし、何よりあれほど業界で評判が悪い佐々木健介が、マサ斉藤とだけは最後まで相思相愛で、パーキンソン病になって露頭に迷ってもおかしくなかったマサ斉藤を、ケンスケオフィスという自分の事務所に入れたり、自宅に居候させて面倒みたりと、そこだけは誰も否定できない善行をしていました。

マサ斉藤さんは障碍者手帳も交付されていたようですし、佐々木健介も苦労があったと思うんですが、そこは本当に立派です。

まあマサ斉藤さんが下の人間に慕われるべき、器の大きな先輩レスラーだったという事もあるんでしょうね。

西川潤という健介の弟子だった選手が、ケンスケオフィスを退団後に、師匠佐々木健介の暴力行為などを告発してたんですが、その西川選手も健介とは絶縁しても、マサ斉藤の事は最後まで慕っていました。

↑ マサ斉藤が佐々木健介に伝授した必殺の監獄固め。

この技が監獄固めと命名された経緯や、マサ斉藤の伝説について思い出してみます。

 

マサ斉藤の伝説

東京プロレス崩壊後、(この辺の経緯は歴史的な面白さがあります。)に単身アメリカに渡っていたマサ斉藤さんですが、アメリカでも認められWWFなどで長い事活躍していました。

 

暴行と服役

そして日本に帰国する直前に、同僚の外国人レスラーが起こしたある事件があり、そのレスラーを逮捕するために部屋に踏み込んできた警察官を、部屋に居合わせたマサ斉藤が次々なぎ倒したという、素晴らしい伝説があります。

やっぱプロレスラーはこうでなくちゃいけません。マサ斉藤さんの辞書に損得勘定の文字はないんでしょうね。この伝説は他のレスラーの口からも幾度か語られていました。

実際に1年半アメリカの刑務所に服役!!

その後日本に帰国して、アントニオ猪木らと絡んでいきます。

 

巌流島の戦い

日本ではアントニオ猪木との巌流島の戦いが有名ですね。

ノールール、ノーレフリーで観客もいない中、2時間半も彼らは戦いました。まあノールールといっても、話せばわかる猪木と温厚なマサ斉藤という信頼したもの同士の、ブックありの試合で、いわば実験的な試合だったんでしょうね。

マサ斉藤の代名詞のようになってますけど、実際の内容はほとんど茶番ですし、どちらかというと見ない方がいいです。

居合わせたレスラーはどう思っていたのか調べてみたんですが、船木誠勝なんかは「早く帰りたかった」と言っていました(笑)

↑ 巌流島の戦いについて語る船木選手(この動画はマサ斉藤さんの死去前に語られてます。)

てっきり面白おかしいエピソードにしてくれるのかなと期待したら、淡々とネガティブな感想を言っているだけでそっと閉じてしまいました(笑)船木さんはシュートすぎます。

いやぁプロレスラーって本当にいろんな人がいて面白いです。皆さんキャラクターがたっているので、サッカーの香川じゃないですけど、あとは使い方なんでしょうね。

船木さんもこのシャレが通じない感じをうまく料理してくれるタレントと出会えれば、バラエティでブレイクしそうな要素は持っています。

 

日本での評価

日本のマット界は、マサ斉藤さんの素材やキャラクターを存分には生かしきれなかったのかなという印象はあります。プロレス総選挙でも圏外でしたし、玄人受けはいいですが、どちらかというと地味なレスラーという印象を抱くファンが多いんじゃないでしょうか。

マサ斉藤さんはレスリングでオリンピックに出たほどのアマチュアエリートでもあるんですが、その辺のエリート意識もなかったと思うので、もう少しうまく演出してあげれたような気がしています。

 

ファンに愛されたマサ斉藤

根強いファンは多かったので、皆さん悲しんでおられました。

レアな動画もあったので合わせて紹介してみます。


かっこいい


本当に何度も巌流島を見たのか!!!

以上。ご冥福をお祈り致します。










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