プロ野球 野球

野村克也死去 球界人のコメントと評価 ダルビッシュ長嶋茂雄谷繫古田敦也

更新日:

史上唯一の捕手としての三冠王選手、引退後にも監督や解説者としてプロ野球界を大いに盛り上げてくれた野村克也さんが84歳で死去されました。自宅の浴槽でぐったりしていたところを家政婦の方が発見されたそうです。

非常に残念ではありますが、最愛の妻であった野村沙知代さんが亡くなってからかなり寂しそうにされていました。息子のカツノリ氏とお孫さんもいたので思い残すことはもう無かったかもしれません。数少ない道を究めた野球人として、すべてやり切った素晴らしい人生だったと思います。

こちらはヤクルト監督時代に指導していた選手たちに支えられての代打。ファンにとってはたまらないイベントでした。

2019年の夏場の共演です。足腰は弱っていましたが、割と最近までメディアにて野球についてぼやき節を言っていましたので、闘病やボケることなどなく、最期までしっかりされていました。

 

選手、元選手ら業界人からのお悔やみの言葉

ぼやき節なる専門用語を生み出したほどしゃべりが達者でした(個人的には元アスリートでは一番言語化能力の高い方です)。

ネガティブな事も言うことが多かったのですが、ダルビッシュも言うようにそれによって野村克也さんを悪く思う選手は少なかった気がします。(今岡誠ら一部選手とはうまくいっていなかったようですがそれはもう監督の宿命)。

球界人、業界人たちのコメントを紹介します。

三木谷浩史

田尾監督の後に楽天イーグルスの監督をした縁です。賛否ありますが野村克也さん自身は楽天監督の解任に納得がいっていなかった様子で、割とずっと毒づいていました。

色々あるとはいえ、楽天の躍進に一役買ったのは間違いありません。阪神時代もそうですが、野村監督のまいた種を見事に星野仙一元監督が回収した印象です。(まあ田中将大の力という声もありますが)

 

ダルビッシュ

現在はオフシーズンなのでユーチューバーとして活躍されているダブビッシュ有さんも野村克也さんについて、「この監督と一緒にやってみたかった。」など最大級の賛辞を送られています。

野村克也さんも「歴代ナンバー1の投手」としてダルビッシュと高く評価し、ダルビッシュが2019年前半まで絶不調のころに大いに励みになったそうです(ちなみに私も歴代ナンバー1の日本人投手はダルビッシュだと思います)。

↑ その時のベストナイン。

野村克也さんにもyoutubeやって欲しかったですね。あと10年youtubeの普及が早ければ、誰かしらがおぜん立てしてやってくれた気がします。

 

岩隈久志

楽天時代に指導されています。すぐに降板するため違和隈と揶揄され、息子のカツノリ氏とも口論するなど微妙な関係性に見えましたが、大人ですし、何より一緒に戦っている時は友達でいろというのが難しい話です。今は感謝されていました。

「すごく残念な気持ちというかすごく悲しい気持ちになります」

「野球の深いところを教えていただいた。その中でエースの役割、立ち振る舞いとか、そういう大事なこともたくさん教えていただきました。技術だけではなく、組織としてチームとしての弱者の考えというのも。すごく大切なことを学ばせていただいた」

「これまでたくさん野球界に貢献していただいたと思いますので、天国で見守ってほしいというか、ゆっくり休んでいただきたいと思います」

 

 

田中将大

楽天時代の岩隈久志とのインタビューでは野村監督に対しては割と冷めた対応でしたが、師弟関係ではありました。

「突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。プロ入り1年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします」

感謝されていました。

 

稲葉篤紀

息子カツノリの試合を見に来た時に稲葉篤紀を見初めたという定番のネタがあります。

「野村監督には、本当にたくさん、いろんなことを教えていただきましたので、それを思い返しながら、もう一度野球というものにしっかり向き合いながら、このオリンピック、どうやって勝っていけばいいかということは考えていきたいというふうに思います」

野村監督の最後の夢だった日本代表監督を引き継がれています。東京五輪期待応援したいところですが、コロナウイルスで開催自体危ぶまれています。

 

飯田哲也

ヤクルト時代に監督していた選手です。野村政権下で捕手から外野へコンバートされプロ野球の世界で生きる道を見つけました。野村再生工場の大成功例のお一人です。

「野村さんに見出していただき、ここまでの選手にしていただいたので、残念としか言いようがないです」

「テレビのニュース速報で見て、えーっと、びっくりしました。(OB会で)全然元気にしゃべっていたのに。(息子の)克則が車椅子を押して来ていて、椅子に座ってではあったけれど、挨拶もされていたんですよ。野村さんに見出していただき、ここまでの選手にしていただいたので、残念としか言いようがないです」

この写真はたまらないです。

 

谷繫元信

歴代ベストナインの捕手候補として野村克也さんと肩を並べているという声もある谷繫元信さんもコメント。

「先月、金田(正一)さんのお別れの会の時に車いすで来られて弱っているような感じはしたけど、そういう姿を見ていたので(訃報を聞いて)『え?』っていう感じがしました。

野村さんはすごく野球を愛した方なのでそういう思いを受け継いで後輩たちに、同じポジション、キャッチャーというものとか、いろんなものを伝えていきたい」

野村監督について

「対戦をさせていただいて『イヤな監督だな』という思いを抱きながらやっていた。すべてもてあそばれたな、谷繁をすべてバレているという思いがしていた。そこを何とかはぐらかしながらなんとか『ヤクルトを、野村さんを負かしてやろう』と思ってやっていました」

NPB歴代出場記録は谷繫が1位、野村克也さんが2位で、谷繫さんも早く抜きたいと意識していたそうです。引退後に会った際には、早くユニフォームを着ろとせかされていたそうです。野村克也さんは本当に現場が好きな方でした。

 

福本豊

国民栄誉賞を打診された際に、立ち小便ができなくなると断ったナイスガイの元選手です。面白い方ですが、歴代ベストナイン候補のレジェンドです。

「僕がプロに入ったころの神様」「昨年の12月くらい。えっという思い。びっくりしました。大先輩ですが、まだ早い。野村語録をもっと聞きたかった」

「レベルの高いランナーにしてもらいました。クイックを投手にさせて、ぼくが動けないようにして。ぼくが走れないように。その中でぼくが研究して、レベルを上げさせてくれた」

「若いときに、チャンスの打席に行ったら、パッと間というか、集中力を散漫にさせる一言はきつかった。あの一言がきくんです。それに乗ってしまってやられてしまうことが何度もあった」「細かいところまでみんな見ておられる。自分と違うなと感じた」

 

若松勉氏

ヤクルト元監督で元選手です。

「(ヤクルト監督を引き継いだ際に)次に誰が監督をやるのかな? と言っていた。冗談の多い監督だった」

「お皿に盛ったら、全部平らげていた。食事を残したところを見たことがない。だから、古田や真中が(野村氏の打席で)支えるのは大変だったと思う。

 

松村邦洋

物真似のレパートリーに野村克也さんがいました。

「キャンプ巡りをしていた車の中で野村さんの思い出の話をしている最中に野村さんの訃報をネットニュースで聞きまして、いろんな思い出がよみがえってきました。ものすごいショックでした」

「遠山投手が松井(秀喜)選手を打ち取ったときの野村さんの笑顔は忘れられないですね」「感謝しかない」

物真似については、「ワシの声はそんな声か」としつつも許容されていたそうです。

「野村さんのうわさを消さないことが大事。うわさの途切れたときが本当の死だと思うので語らないといけない。ものまねをやれる限りはやりたいし、話は受け継いでいった方がいいと思います」

今後も物真似は続けていかれるそうです。松村邦洋さんはプロ野球や選手らへのリスペクトがあるのでファンでも反対派はほとんどいないんじゃないでしょうか。

 

広瀬叔功

南海(その後ダイエー→ソフトバンク)時代のチームメイトで、仲のいい友人でもありました。

「 スギやん(故・杉浦忠さん)に続いて、ノムやんも逝ってしまったか…。ワシより早く逝くなんて…。さみしい話だよ。 ノムやんとは1年違いで南海に入って、お互い高校からテスト生のような形で入った境遇や当時のチームでの立場など共通点が多く、気心知れた仲間だった。

練習や試合が終わっても一緒に飲んで、遊んで、常に一緒だったな。 その後、ノムやんと同じ年のスギやんが入って、3人でいつも一緒にいた。何するにも一緒だったから、鶴岡さん(一人当時監督)からは「南海の三悪人」と呼ばれて、よく怒られていた。今思えば、期待されていたのかな。 」

「この世界で生きていくんだ」という強い信念を持ち、貫き通した。2軍からひたむきに取り組み、1軍に上がってもおごることなく地に足をつけて進んでいった印象がある。簡単に道をそらしてしまうワシからすると、いつも見習わないといけないと思っていたけど、最後までノムやんのようにはなれなかった。だから引退も、年下のワシの方が早かった。 最後に会ったのは昨年夏だったかな。何十年も付き合っている仲間だから、本当にたわいもない話しかしていない。思い出話をたくさんしたけど、話は尽きない。もう会えないと思うと、やはりさみしい。次はワシだろうな…。そのときは思い出話の続きをしたいよ。」

晩年まで付き合いは続いていたんですね。野村克也さん憎まれ口ばかりがクローズアップされていましたが、慕われるということはメディアには出てこない優しさもあったんだと思います。

 

江本孟紀

不仲と言われていましたが実はプロレスで仲の良かった選手です。

「奥様が亡くなって、ちょっと元気ないかと思っていた。けど、すぐに立ち直った感じで、球場で試合を見ては、おもしろおかしく解説してみんなを笑わせていましたよ。本の対談でも『ノムさんは100歳までは大丈夫や』と言っていました」

「実は野村さんと本を出版の予定で、昨年秋くらいから対談を重ねていました。最後は12月、都内のホテルで会いました。ここ数年、車椅子ではありましたが、元気そうでした。急なことで驚きました」

本の出版を予定されていたそうです。

 

長嶋茂雄

生涯のライバルです。長嶋や王貞治はひまわり、俺は月見草と嫉妬交じりに対比されていたこともあります。

「驚いた。テレビのニュース速報で訃報を知ったが、一瞬、言葉を失った」

「なぜならノムさんとは、3週間前に行われた金田さんのお別れ会で顔を合わせたばかりだったから」「その時のノムさんの言葉が忘れらない。『おい、頑張ってるか。オレはまだ生きるぞ。まだ頑張るぞ』。だから私もお互い頑張ろうと話したばかりだった」

長嶋茂雄さんとは金田正一さんのお別れ会で会っていたそうです。

 

山崎武司

「27年間の現役(生活)の中で野村監督(からの指導)は4年間だったんですけど、一番濃い4年間を送らせていただきました」

「とにかく初めて野村監督とお話させてもらったときはに全否定されましたね。うまくやっていけるのかなと、そんな不安で始まったんですけど、日に日にいいお言葉をいただいて、可愛がっていただきました。野村監督じゃなければ2回目のホームラン王は絶対になかった。足を向けて寝られないですね」

「年をとってしまうとパワーもスピードも全てにおいて衰える。『最後に使うのは頭だぞ、頭を使え』と再三言われて。(最初は)どうやって(頭を)使っていいか分からなかったんですけど、タイトルを獲ることができた」「一番印象に残っていることは『野球を好きになれ』ということ。『もっともっと野球を好きになりなさい』と言われました」

「野村監督に教わったことを今度は僕たちが伝えていきたいと思います」

楽天で相思相愛の仲でした。

 

高津臣吾

現在はヤクルト監督です。

「見てもらいたかったですし、まだまだ教わることもたくさんありました。最近、会えば、抑えにして悪かったなと言われてきました。楽しい時も素晴らしい時もつらいことも、経験できたのがすべての思い出です」

「ヤクルトを愛してくれた人。監督の思いに応えられるように素晴らしいシーズンにしたい」

今季はヤクルトに優勝して欲しいです。

 

新庄剛志

 

この投稿をInstagramで見る

 

#新庄剛志 #野村克也 宇宙人の名付け親  新庄お前はファンに愛されるカッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや お前は悔しいくらい可愛いな(>_<)最高の言葉有り難うございました 実は野球の指導を1回しか受けた事がないその一回はボールをしっかり芯でとらえなさいただそれだけでした  お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ?そりゃ4番ですよ〜次の日から僕を4番に起用し、その年プロ野球人生最高の成績をあげメジャーに行けた ベルサーチいいですよって教えたらずっとベルサーチを着続けてくれた カツノリの性格の良さはプロ野球選手の中でトップお父さんお母さんのおかげ 俺が死んだ後今度は俺が監督ノムさんが選手で二刀流をさせるその時はキャッチャー新庄 野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください(>_<) 本当に笑顔で有り難うございました(^^)また会う日まで野村克也監督。

新庄 剛志(@shinjo.freedom)がシェアした投稿 -

 

古田敦也

古田がテニスラケットでできることを俺はバットでできるみたいな愛のムチで、古田敦也さんを球界を代表する捕手に育てあげました。

(当時は師弟関係といっても、かなりドライな仲でしたが、古田さんが監督してからぐらいでしょうか、雪解けした印象です)

割と最近にも対談されています。古田敦也さんは以下のコメント。

「ID野球という言葉があるが、野球は頭を使えば勝てるんだ、ということを教えてくださった方。おかげで、弱小チームが1990年代に強くなった。もちろん今でも野村さんの考えには影響を受けていますし、正しいと思っている。これを継承して次の世代に伝えていくのが僕たちの仕事だと思う」

「選手とは一線を引く方で、プライベートでご飯を食べたりしたことはあまりない。僕が監督になった時も『選手と距離を置け』と言われた。監督は時には非情な決断をしなければいけないものですから」、「理論ばかりのようにいわれるが、実際には感情的で、ベースは負けず嫌いのかたまりのような方。その上での理論だった」

その他、石井一久(とんでもないノーコンでしたが球速が速いのが良いと野村監督が獲得に一役買ったそうです)、矢野燿大、西岡剛、上原浩治など、野球を通じて親交のあった球界人もコメントがあれば追記いたします。大恩人として慕っている山崎武司さんなども恐らくは何かしら言葉を残されると思います。

オールスターで松井秀喜に対し仰木監督がイチローを投手に起用、それに対しての代打高津は賛否ありますが個人的に最高でした。

サンケイスポーツの公式アカウントも合掌されています。

 

ファンの反応まとめ

ご冥福をお祈り申し上げます。不世出の素晴らしい野球人でした。










-プロ野球, 野球

Copyright© 本日の解説クラブ , 2020 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.