小川直也さんがプロレスラーを引退されました。
といってもリングからは遠ざかっていたので、事実上引退状態ではあったんですが、師匠アントニオ猪木や、ファンに報告をして筋を通したうえで、今回正式に引退したという事です。
この方はリングでは暴走してましたけど、昔から真面目で常識人というイメージですね。
そういう真面目な方が無理して演じている姿や、やりたくもないガチンコ勝負をやらされている境遇に同情しつつも、素材が一級品で、自己プロデュースは猪木譲りで素晴らしいものがあったので、一時は世間を空きこんで、ムーブメントを作り出していました。
一般世間まで届いた最後のプロレスラーといっても過言ではありません。
小川直也さん、引退のニュースに感慨が深い。
2003年5月2日、後楽園ホールであった《橋本&小川vs武藤&小島》の事は、今でも忘れない。
あの試合で、張り手をした私に対し、ボコボコに殴りかかってきた小川さんは本当に怖かった。
あのインパクトは、15年経った今でも色褪せない。
— 小島 聡【SATOSHI KOJIMA】 (@cozy_lariat) 2018年6月11日
まさかの小島聡選手からのコメント。この方本当にいい人なんでしょうね。
小川さんは最後まで猪木と仲が良かったですね。猪木とずっと仲が良いって相当レアだと思います(笑)皆最後は金で揉めているイメージがあります。
適度に距離をとっていたこと、小川さんが超大物なので猪木さんも気を使っていた事、意外と気が合ったこと、色々な要因で仲難いすることがなかったんですかね。
これからは柔道の指導者を目指していくということです。ちなみに猪木さんはこれまで通り国会議員を続けていかれます。
プロレスでのベストバウト
プロレス自体はあまり上手じゃありませんでしたけど、プロレスってちょっと特殊で、プロレスリングがうまくなくても、空気感だったり、キャラクター設定なども、広くいえばレスラーとしての能力なので、そういう意味でいうと小川直也さんは凄くプロレスセンスのあるレスラーでした。
ぎこちないが故に、ガチンコか演技か分からないような空気を出すのがうまくて、2000年代はそういう格闘技風プロレスが新日で流行っていた記憶があります。
プロレスのベストバウトはどれでしょう、川田利明戦か、グレートムタ戦、あとは山崎一夫戦も、見ごたえのあるプロレスでした。
↑ 山崎一夫戦
上記の3戦は小川直也が珍しくプロレスらしい動きをしている試合です。当たり前ですが受け身はめちゃくちゃ上手です。
橋本真也
そして一番有名なのはやはり橋本真也戦でしょうね。
ゴールデンタイムでやっていましたし、橋本の性格と戦闘スタイルが小川とかなり噛み合って、かなり賛否あるとは思いますが私は楽しめました。
ただ橋本戦以降ぐらいからですかね、小川の格が上がって、更にプライドでゲーリーグッドリッジを倒したりして、純粋なプロレスラーとは色々と格が違うぞと言うことになって、本人も強気な姿勢になって、あまり相手の技を受けないプロレスラーになってしまいました。
(その頃はまだガチンコの強さもプロレスラーとして大きなステータスでしたからね。これは小川直也というより、闘魂三銃士、そしてもっと前の猪木や前田日明が作り上げてきた新日の伝統でもありました。)
今でも橋本真也戦が取りざたされる事がありますが、一体あれは真剣勝負だったのか、それとも台本有りだったのか、考えてみます。
橋本真也戦はセメントなのか
セメントとは真剣勝負の事です。
本来プロレスでは台本有りの勝負が行われていて、そこでは結末まできっちり決まってます。
(台本ありの真剣勝負というプロレス的な概念もありますが、それは置いておきます。)
その約束事を破り、相手に真剣勝負を仕掛ける事件が、過去のプロレス史では時折起こってしまい、そしてその不穏な空気感が刺激的で、あってはいけないことなのに、プロレスファンの興味を引き付けてしまうわけなんです。
で橋本戦がガチかどうかでいうと、3戦目に行われた試合だけは、70%ぐらいはガチンコだったと私は解釈しています。
試合後に大乱闘になった試合
小川のセコンドについたゴルドーを無視して、村上一成だけに鉄拳制裁する新日の弱腰レスラー達が当時笑いものになっていました。
橋本の入場から小川がマイクパフォーマンスを行ったりして試合前から不穏な空気でした。
試合は見ての通り。
近代の総合格闘技にあるような動きではありませんが、当時はそんなものまだ浸透していませんでしたし、小川選手にまともにプロレスに付き合う気はなく、それを察知した橋本真也選手が、レフリーに蹴りを入れてノーコンテストを狙うなど、一応セメント勝負といっていいはずです。
(ただ時折プロレスっぽい動きはありますので、お互い迷いながらの試合だったんだと思います。)
橋本選手は、この頃現場監督を務めていた長州力とも折り合いが悪く、誰も信用できなかったので、レフリーを攻撃するという行動をとったと記憶してます。
プロレスラー橋本真也
こんな凄い痛いことされて、後々盟友になるわけですから、橋本真也というレスラーは本当に器が大きかったんだなって、感嘆しますね。橋本さんが生きていれば、きっと小川直也ももう少し精力的にレスラーとして活動していたと思います。
吉田戦で入場する小川選手が、途中から橋本真也選手の入場曲をかけてます。
まあ結果は吉田秀彦選手に負けるというシビアな結果になってしまいましたが、時を経て小川橋本戦がここで完結したような気もしました。
当初は橋本なんて弱くて情けないプロレスラーという扱いになっちゃいましたけど、ルールを破った小川の全てを受け入れて許すなんて、橋本選手はやはり強くて大きなプロレスラーじゃないでしょうか。
そして小川選手も、天下をとれなかったと言ってましたけど、間違いなく一時代を築いたプロレスラーでした。(最後に長者番付にランクインしたプロレスラーでもありますし)
総合格闘技
吉田戦はギャラが凄かったみたいです
小川直也がプロレスと格闘技から引退。こんな時代もあったなぁ。
PRIDE男祭り2005
ファイトマネー
小川直也 2億5千万円
吉田秀吉 2億5千万円
合計 5億円#PRIDEneverdie#DREAM #RIZINFFhttps://t.co/IZQ1zDm8Hw pic.twitter.com/oCgPzkJqBf— MMAアンケート@高田氏 (@MMA_question) 2018年6月11日
とにかく頭の良い方だったので、一番いい時期に総合に来て、一番いい時に去っていきました。戦績はそれほど振るいませんでしたけど、そもそも多分この方は総合格闘技なんてやりたくなかったんだと思います。
そういう時代ですし、それで良い思いもしているので、仕方ない面もありますけど、本当は柔道から転向したあと、WWEみたいなプロレスをやりたかったんだろうなと思うと、少しかわいそうでもありました。
総合でのベストバウトは私はグッドリッジ戦かなと思います。肉体的、あとは周りの選手と比べての相対的な力は間違いなくあの頃がピークでした。あの頃真剣に総合格闘技の練習をしておけば、コールマンやマークケアーらプライド初期のトップ選手らとはいい勝負ができた気がします。
まあ確か憧れのレスラーはホーガンですからね。総合にはやる気と言う意味で適正がありませんでした。
最後の相手を務めたのは結果的に僕でした。
小川さんのキャリアの作り方は本当に賢くて、勉強させてもらいました。小川直也のようなキャリアを作れる選手は今後出てこないでしょう。 / 小川直也がプロレス&格闘技引退!柔道... #NewsPicks https://t.co/VWPMir7MN1
— shinya aoki 青木真也 GO!! (@a_ok_i) 2018年6月11日
青木真也選手もコメント
とにかくプロレスラーとして長年楽しませてくれて感謝です。お疲れ様でした。
本当は今日は、史上最強の柔道家とか、小川選手の息子さんとかに話を広げていく予定だったんですが、ついプロレスの話をしてしまいました。小川選手の過去とこれからの柔道人生についてはまた後日書いてみる予定です。