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志村けんの半生 ダウンタウンさんま武との関係 コロナで死去も笑いは永遠

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コロナウイルスにより志村けんさんが死去されました。

志村けんさんはタレントでありお笑い芸人でもありましたが、厳密にいうならばコメディアン、喜劇役者といった方が正確かもしれません。志村けんさんの笑いや残した偉業についてまとめて紹介します。

 

明石家さんま、ビートたけしとの関係

笑いのスタイルがまるで違います。

明石家さんまとビートたけしはアドリブによる笑いを得意とし、志村けんや加藤茶らドリフ組は台本通り忠実に演じ、フリートークをかなり苦手としていました。島田紳助と加藤茶は割と頻繁に飲みに行く間柄だったようですが、島田紳助がしゃべり倒して加藤茶は「おもしろいねー」と相槌役だったそうです。(島田紳助談)

彼らが初めて交わったのは80年代「オレたちひょうきん族」が開始された時期で、裏番組にはドリフの「8時だよ全員集合」が放送されており、この時代における新旧対決というバチバチの構図でした。実際ひょうきん族メンバーはドリフをかなり意識していたそうです。

(この時期はとんねるずも台頭しています)

 

共演は結構している

笑いのスタイルこそ違えど仲が悪いわけではなく共演はそれなりにしています。

さんまとは「さんまのまんま」「恋のから騒ぎ」、ビートたけしに至っては「神出鬼没!タケシムケン」というゴールデンの番組で共演もしています(タケシムケは大失敗)。

 

コントは今見るとドリフの方が面白いが…

今コントの動画を見返しみると、ひょうきん族よりドリフの方が古臭さがなく笑って見てられるのですが、当時は「ひょうきん族」の方に斬新さがあり、徐々にお茶の間はドリフを古臭いと感じるようになったようで、「8時だよ全員集合」は「オレたちひょうきん族」に視聴率で逆転され先に番組終了となっています。残酷な新旧交代の出来事でした。

当時他のお笑い番組でも共演することがありましたが、既にバラエティ番組の主戦場はフリートークが主流となっており、得意なフィールドで本領を発揮する明石家さんまとビートたけしに対し、加藤茶と志村けんは「俺たちこういうのあまり得意じゃない」とスネていた記憶があります。

といっても80年代後半には「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」という人気番組もありましたので、他のドリフメンバーは第一線から退きこそすれ、加藤茶と志村けんはまだまだ現役バリバリでした。

 

ダウンタウンとの関係

90年代になるとダウンタウンが東京進出、「ごっつええ感じ」がスタートし、いよいよ加藤茶と志村けんは肩身が狭くなってしまいます。「ごっつええ感じ」は視聴率こそ大したことなかったですが、新しい笑いを日本に広め若者に絶大な支持を得ていました。

(新しいといっても海外ではモンティパイソンが、日本でも筒井康隆やいがらしみきおやなど、松本人志以前から松本人志風の笑いはありました)

加藤茶はこの時期ぐらいから完全に「元大物」というポジション甘んじてしまった印象です。志村けんは後々盛り返すことになるのですが、90年代中盤はかなり低迷しており、一時期は死んだウワサまで広まっています。

 

ナイナイ矢部浩之は志村の頭を叩けない

ダウンタウンの絶頂期に志村けんは低迷していましたが、松本人志が遺書で志村けんを絶賛したこともあり、両者の関係性はかなり良好でした。(松本人志はさんまに対してはかなり好戦的でした)

志村けんの頭を叩けるのもダウンタウン浜田雅功だけです。ナインティナインの矢部浩之が頭を叩いたところ、まだ早いと注意されたエピソードもあります。

頭を叩く行為については、志村けんと親しい沢田研二が激怒していたという話があり、沢田研二ファンだったにも関わらずいまだダウンタウンと共演がないのは、浜田雅功の志村叩きが原因の一つではないかと個人的に思っています。

 

バカ殿での共演

1995年にバカ殿で共演しています。

志村けんさんは褒められるのが大好きなので、遺書で褒められたことをうれしそうに語っていました。

 

志村けんの偉業

上記のように新世代の芸人たちの勢いに押され低迷した時期もありますが、逆風の中でも志村けんは自身の笑いを貫き通し、再び人気を取り戻しています。迷いもあったと思いますが、冷笑されても同じことをやり続けた信念はすさまじいものがあります。

いつ見ても面白いベタなコントを長年鮮度を失わず提供できる芸人は日本では志村けんさんだけじゃないでしょうか。系譜でいうと藤山寛美さんですかね。(志村けんに後釜として期待されていたナインティナイン岡村隆史にもその資質はありましたが、本人にその意思はなかったらしく違う道に進んでいます。)

広く受け入れられる笑いだったので海外でも人気がありました。

逆にダウンタウンや明石家さんまなどは作りこまれたコントからは退き、テレビ用のタレントに完全にモデルチェンジしてしまいました(さんまは舞台はやっていますが)。

個人的に志村動物園は、笑いを愛し続けた志村けんへのご褒美のようなものだと思っています。この高視聴率番組は志村けんである必要性はあまりないのですが、志村けんが大物で居続けることに大いに貢献していました。

 

ジャンケングーも志村けん

有名な話ですが最初はグーも志村けんさん発です。ドリフでやっていた劇場でのコントで子供客とのタイミングを合わせるために考案され、そのまま日本全国に浸透しています。

天才肌だった加藤茶と努力家の志村けんとよく対比されていました。親しかった生島ヒロシさんによると世界各国からお笑いの映像を取り寄せる研究するなどしていたようです。

 

ドリフでは付き人から成り上がり

加藤茶の付き人をしており、いかりや長介に浣腸をしたこともあるほどの下っ端でした。1度脱走もしていますが加藤茶を頼り復帰、その後才能を認められ新井注が抜けたあとに正式にメンバー入りしています。

当時のドリフターズのギャラはいかりや長介がほぼ独占していたため、一時的にネガティブな感情を抱いたこともあったようですが、後年自身が座長の立場になり、いかりや長介がやっていたことが理解できると考えを改めていました。

いかりや長介さんに対しては、生きている時はいろいろあったけど亡くなったらやはりいい思い出だけになると、ドリフターズ時代の確執は解消されていました。

 

仲が悪い芸能人は

いかりや長介との不仲以外ではコージー富田ぐらいでしょうか。誕生日会で何故かふてくされていたコージー富田に「お前もう帰れ」と、三行半を突き付けられたそうです。よくコンビを組んでいた原口あきまさも、もう知らないと見放していた記憶があります。

島崎和歌子も誕生日会に制服を着てきて本気で怒られたと報道がありましたが、直近の誕生日会にも顔を出していたので、こちらは冗談の範疇かなと思います。あとはタモリとも不仲のウワサがありましたが、笑っていいとも等で共演はされています。

 

結婚はしない

割と公私混同するタイプで、自分の番組にお気に入りの女性を呼ぶことでも有名でした。

いしのようこさんとの仲はしばしば週刊誌などで報道されています。

結婚に関しては願望0で、過去付き合っていた女性に「3年同棲すると結婚していなくとも慰謝料を請求される」云々の日本の法律により大金を持っていかれて痛い目を見たというエピソードもあります。

これに関しては志村けん同情論もあるのですが、法的に認められた正当な権利であるのであれば、致し方なしの面もあります。これ以来志村けんさんは特定の女性と3年以上付き合うことはなくなったという話もあるのですが、真偽は定かではありません。

 

コロナウイルスで死去

いまだ信じられませんがコロナウイルスで死去されました。残念ではありますが、豪快に遊び素晴らしい偉業も成し遂げ多くの人に愛された素晴らしい人生だったと思います。以上志村けんさんの半生についてでした。










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