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巨人杉内俊哉が引退 元選手らのコメントまとめ 松坂多村笠原将生ら惜別

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巨人・杉内俊哉が今シーズン限りでの引退すると発表しました。社会人上がりながら通算142勝の大投手でした。

こちらは引退会見動画。同僚の内海投手がサプライズで登場し杉内号泣してます。

2005年には沢村賞に輝くなど球界を代表する投手でしたが、FAでソフトバンクから巨人に移籍してきた4年目の2015年オフに右の股関節を手術し、その後3年間復帰に向けてリハビリに励んでいましたが復活することは叶いませんでした。

94人のプロ野球選手を輩出した「松坂世代」は、2018年のシーズン開幕時点では現役選手は13人とのこと。まさかの松坂復活で松坂がもしかすると一番長く現役を続けるのかもしれません。

 

杉内俊哉のコメント

「松坂に勝つことなく先に引退。これは心残りなんですが、これからは応援する側。彼が一年でも長く応援できるよう応援したい」

「僕の野球人生は順風満帆ではなかった。でもマウンドに上がるとたくさんの人が支えになり本当に幸せな野球人生でした」

「プロ野球人生が一生続くと思いたかった」

凄くいい言葉じゃないでしょうか。感動させられました。

国際大会に強く代表通算成績は防御率1.72という抜けた数字を残してます。(通算成績は時間があるとき別記事にまとめたいです)

ソフトバンクとは残念な別れでしたが、球団も選手も信念があるので時にすれ違いもあるでしょう。杉内は巨人で大幅減俸を申し出た事があるのでお金だけの問題じゃないのかなと思います。

王貞治や長嶋茂雄について、思い出に残る登板などにも言及していました。以下全文です。

引退の理由は体です。もう、限界でした。ホークス時代に痛め、じわじわと悪化していった右の股関節に、それをかばいながら投げていたことで左肩にも痛みが出ました。15年途中に1軍を離れてから、約3年間、1軍のマウンドを目指してきましたが、上がることはできませんでした。

昨年のオフには、球団として支配下登録から外し育成選手として契約する選択肢もあったと思います。それでも、僕の背番号18への強いこだわりを理解し、支配下登録のままで復活することを待ち続けてくれました。周囲からの批判もあったと思います。マウンドで恩返しすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ホークスと巨人、2チーム、2つのリーグでプレーすることができました。両チームで日本一を達成しましたし、数多くの思い出があります。たくさんの出会いにも恵まれました。ホークスでは王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)の下で一緒に戦うことができました。巨人に移籍することを電話で報告した際に「巨人の野球を勉強してきなさい。頑張って」と快く送り出してくださった言葉は、今でも耳に残っています。

巨人では長嶋茂雄終身名誉監督に投球を見ていただくことができました。移籍1年目のキャンプでブルペン投球を視察し「その背番号(18)でチームを引っ張ってくれ」と声を掛けてくださいました。体を触られ、声を掛けてくださったときには鳥肌が立ちました。日本球界の象徴である「ON」の下で野球をできたことは、僕の人生の誇りです。

印象深いゲームは2つあります。ホークス時代の2010年9月25日に札幌ドームでダルビッシュと投げ合い、1―0で完封勝利を収めた試合。直前までふがいない投球が続いていたため、試合後に感極まって泣いてしまいました。そして巨人時代の2012年5月30日、交流戦の楽天戦で田中将大と投げ合い、東京ドームでノーヒットノーランを達成した試合です。両方の試合で素晴らしい投手と投げ合い、勝つことができたので、達成感は大きかったです。

最後になりますが、家族がいなければ、ここまで続けることはできなかったと思います。改めて「ありがとう」と感謝の思いを伝えたいです。子供には、もう一度、マウンドで投げる姿を見せてあげたかったですが、次の夢、目標に向かっていく父親の姿を見せることができればいいなと思っています。

お疲れ様でした。

 

ブルガリア事件

不甲斐ない投球に激高してベンチを殴って自分の手を骨折してしまった、通称ブルガリア事件もありました。

捕手だった城島健司が「利き手はやめろブルガリア!ブルガリア!」と意味不明な言葉を残したことから、ブルガリア事件として球界の7不思議として今も語り継がれています。

WBC大会期間中に合宿所に女性を呼ぶという大胆な不倫も今となってはいい思い出です。

 

元選手らの識別コメント

杉内俊哉はかなりの大物投手なので多くの選手がコメントを寄せました。

元ロッテのサブロー選手

全盛期は現役左腕では1番といってレベルでした。

 

藤川球児

「僕らの世代では1番の左投手。同じ投手として尊敬するところも多かったですし、互いに切磋琢磨(せっさたくま)してきた数少ない1人です」

と最高の賛辞。実は引退発表の前日に杉内から電話で報告を受けたらしく、皆現役が終わっていくつになるか分からないけど、いつかみんなで思い出話でもしながら飲みたいな、と藤川は伝えたそうです。

 

松坂大輔

「高校時代に甲子園で対戦してから、ずっと強く意識してきた仲間。自分の中で最高のライバルという意識を持っている。杉内の投げている姿、フォームが好きだった。野球に対する考え方も好きだった。同じ時代に杉内俊哉といういい投手がいたから、僕もがんばってこれた」

一時は松坂が低迷して杉内絶頂だったんですが、スポーツとは分からない世界ですね。松坂はまさかの大復活で、上原浩治も松坂より先に進退してしまうかもしれません。

 

ミス東女小俣友梨夏

かわいいですが、寂し杉内って言いたかっただけのような気もします。しかしこれだけ世間にも届いた選手ということでしょう。

 

笠原将生

賭博問題で球界を永久追放となった笠原将生。現在は新宿のボーイズバーで働いているとのことすが、ツイッターで頻繁に野球について発言しているようです。

杉内はかなり面倒見がよく先輩としても一流だったみたいですね。

 

多村仁志

ソフトバンクでチームメイド、DeNAに移籍してからは敵同士に。

対戦したくない投手っていうのは最高の誉め言葉ですね。リハビラーとしては気持ちが分かる部分もあったでしょう。

 

高橋由伸(現巨人監督)

「そんなに対戦は多くないけど素晴らしい投手。チェンジアップもすごいけどやっぱり真っ直ぐかな。見た目より来るというか。味方として?スギの試合は打ってるんだよね。ノーヒットノーランの試合もホームラン。貢献度は高いかな笑」

今は監督と選手の関係ですが、高橋引退前は巨人でのチームメイドでもありました。

これといって巨人のファンというわけではないですが、高橋由伸は大学生時代の親の借金に始まった巨人への借りを今も返し続けているという、ちょっとかわいそうな印象があります。

 

巨人ファンとソフトバンクファンも識別

当時はソフトバンクファンからかなり叩かれていましたが、許しがたいほどの不義理というわけではないので、今回の引退は多くのファンに惜しまれていました。

 

和田毅

松坂もライバルですが、個人的にはソフトバンクで同僚だった和田毅もライバルだったのかなと思ってます。巨人移籍も和田毅へのライバル心がかなり影響していたはずです。

和田毅はまだ現役で2016年には15勝を上げていますが、通算勝利数では131勝(うち5勝はMLBにて)、更に2018年は登板機会がないので最終的には杉内俊哉が勝利数では上回りそうな感じです。

どちらも200勝にいかなかったのは残念ですが、和田毅は大卒、杉内は社会人上がりなのでこれは仕方ないですね。実力的には200勝投手にも引けを取らない能力があったと思います。

本当にお疲れ様でした。










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